僕の宵と明けの唄

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僕の宵と明けの唄

アスペルガー症候群の僕の日々の生活・趣味を綴ります。

亡き人を偲ぶ夏~祖父・一太~4 昭和初期、大戦前の良き時代

 

 昭和六年十一月十五日

アメリカ職業野球団来戦

 

 数日此の方やんやのセンセーションを湧し、運動人をして専ら風評高き来期中のアメリカ職業野球選抜軍とオール日本軍の対戦を、新装なれる神宮球場に、同志四人と共に見る。

 さしも広き球場も(六万人入ると云う)全く人々の顔を以って埋め尽くされ、試合の始まるを今や遅しと待つ。

 早朝よりつめかけ、午後二時半よりの開戦を待つ人々の熱心さ、この熱き人々の数を以って或る仕事を成さば、大なることをなす得べきにと思わるる。

 試合のやがて鳴るサイレン音に始まれば、誰もの期待に判がわず、十三対零の成績にて日本軍の大敗となる。グローブ投手の懸命なる投球に、日本軍の打撃完全に封ぜられ、試合中に塁を踏むものなく、打撃と云わず守備と曰わず段違の差にて、全く惨敗に終わり実力の差現わす。観衆熱なく、罵声各所に挙る。

 

 

 昭和八年七月二日

飛行機初乗

 

ライオン歯磨本舗小林商店の企による、遊覧飛行抽選に当選したる幸福を得、羽田飛行場に至り、へその緒切って以来初めての飛行機乗りとしゃれ、晝(ひる)過ぎ迄順番を待ち、午後一時頃六人乗機に英太を連れ他の連中五人計七人、ほかに運転操縦士二人都合九人にて機上の人となる。

 猛烈なるプロペラの音。間もなく滑走数十間、振動の感じ止まりし、思う時には早や機は空中に有り、高所より見渡す、見下ろす海上、山々さては市外の眺めは地上に優り幾倍となく、まるで箱庭を見ゆるが如く、又画に見るが如く例えようなく美し。

 (中略)

 英太の欣びは一方ならず、福恵の乗機(十分間五円に乗る)に際しても又乗り、大いに飛行家気分を発揮す。

 かくて永年目に耳に聞き居たるあこがれの飛行機初乗(余ら夫婦、子息三人)の希望ついに無事達せられる。遊覧飛行料金二十分間十円、十分五円は、ちと未だ高きを覚ゆ。

 英太六歳、余三十四歳、福恵二十八歳。帰途、品川駅前寿し屋にて食したるちらし寿しのおいしさ近頃の上出来栄なりき。

 

 

謙虚な魂を照らす世に 

 古語とまではいかないものの、祖父の日記の表現には、明治に生を受けたもの特有の文語体めいた表現もあり、読んでいただいた方の中には、難しく感じた方もいらっしゃったかもしれません。


渋沢栄一 立志の作法 成功失敗をいとわず ()

 しかし、僕が祖父の日記を載せたかったのは、大戦前に平穏なよき時代があったということを生々しく物語る貴重な遺産としての価値を見出したからです。

 

 何より、祖父の書き記す表現に今の時代の人と変わらぬ悩みがあるのを感じると同時に、現代人においてはグローバル社会の中で強い自己主張を強いられる一方、祖父には確固たるものでありながら、寡黙で謙虚な魂を感じました。

 何よりも家族を愛している姿が日記からも垣間見れ、実物の祖父も朴とつながら、家族を愛していました。

 

 そんな人々の営みが照らされる世の中であってほしいと願っています。